鹿島古墳群(かしまこふんぐん)
所在地:旧大里郡川本町鹿島(現深谷市)白鳥の飛来地で有名な荒川の川岸の2キロに広がる古墳群。
現存する古墳56基の中には埴輪をもっているものもあります。
説明板1
鹿島古墳群
所在地 大里郡川本町鹿島
荒川中流域における古墳群で、分布は川本町鹿島、本田、江南町押切の範囲に及び河岸段丘上約二キロメートルにわたっている。
現存する古墳五十六基は、小円墳がほとんどで荒川に近い古墳には埴輪を持っているものがある。
昭和四十五年に圃場整備事業に伴い県教育委員会により二十七基の古墳が発掘調査されている。主体部は荒川系の河原石を用いた若干胴の張る横穴式石室で玄室には棺座を設けたものも見られた。天井、奥壁は緑泥片岩(りょくでいへんがん)を使用していた。玄室と羨道の比は、二対一となり三十センチメートル(漢尺)の定尺となるものが 認められている。
出土遺物には、玉類が少なく、鉄鏃(てつぞく)、直刀(ちょくとう)、刀子(とうす)、耳環(じかん)などが多く出土している。
古墳の年代は奈良時代初期の住居跡の上に古墳が構築されているものがあり、七世紀初頭から八世紀初頭にかけてつくられたものと推定される。
古墳の埋葬者は、在地において先進的な役割を果たした豪族であろうと思われる。
荒川旧流域を代表する最も保存の良い古墳群で、埼玉県古墳文化の地域研究の上で貴重なものである。昭和四十七年三月二十日、県の史跡として指定されてい る。
平成十一年九月
埼玉県
説明板2
鹿島古墳群
古墳とは今から千七百年前から千四百年前頃にこの地域の有力者を埋葬するために造られた墓で、土を高く盛り上げて、その内部に遺骸を埋葬する場所が設けられています。
古墳の形は、平面形から前方後円墳や円墳、方墳などと様々な形がありますが、鹿島古墳群は円墳だけで構成されています。この様に小さな円墳が密集する古墳群を特に「群集墳」と呼び、鹿島古墳群はその規模から県内を代表する群集墳です。
鹿島古墳群では、遺骸を埋葬する施設として荒川の河原石を積み上げた長さ四メートル、幅二メートル前後の楕円形の石室が築かれています。また、出入りできる入り口が設けられ、こうした石室を横穴式石室と呼びます。この石室には遺骸とともに生前使用していた太刀や弓矢、刀子(とうす)などが副葬されました。鹿島古墳群では太刀などの武器具が多く出土しています。
また、墳丘の表面は河原石で飾られており、築造された当時は草や木に覆われた現在のイメージとは異なった、白く輝く荘厳な姿であったようです。
埼玉県教育委員会
川本町教育委員会
冬は白鳥の飛来地、春は桜の穴場です。
所在地:埼玉県深谷市本田
アクセス:熊谷駅からバス
関越道花園インターから15分程度
無料駐車場アリ
お問い合わせ先:深谷市生涯学習課 048-572-9581
または、川本出土文化財管理センター048-583-6019
鹿島古墳群付近地図
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参考図書
さいたま古墳めぐり 古代ロマン70基 さきたま双書 |
(税込 1,575 円) | 探訪武蔵の古墳 |
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【目次】古墳を訪ねてみませんか/金錯銘鉄剣…謎も超一流―さきたま古墳群/関東の石舞台―八幡山古墳/県内唯一、線核画のある―地蔵塚古墳/将軍山古墳と肩を並べる―小見真観寺古墳/シェイクスピア劇を思わせる―真名板高山古墳/東武線のこんなすぐそばに―毘沙門山古墳/利根川を挟んで毛野をにらむ―永明寺古墳/加須低地のへそ―鶴ケ塚古墳/赤城山と日光男体山を背景に―樋遣川古墳群〔ほか〕 | 【内容情報】現在の埼玉・東京・神奈川に及ぶ古代の武蔵を理解するために本書では現存する約120の古墳を紹介した。地図・所在地を掲載し、訪問の際のハンドブックとしても最適である。 【目次】 武蔵における古墳築造の動向/埼玉県/東京都/神奈川県 |
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