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高見城跡(四津山城)と四津山神社(小川町)

小川町の四津山に石井九郎右衛門政綱によって築かれたとされるのが高見城です。

県道から高見城への入り口

高見城案内板
高見城案内板より

県指定史跡 高見城跡

小川町大字高見字四ツ山一00八外

平成四年三月二五日指定

高見城跡は、町の北東部にそびえる独立峯・四津山の頂上に築かれた中世の典型的な山城です。城跡からは、北は荒川流域一帯、南は市野川筋を一望できる要害の地に築かれています。市野川筋には「旧鎌倉街道上道」が走り、戦国時代、鉢形城と松山城の中間にあって、街道を押さえる重要な役割を果たしたと考えられます。
城跡は細長い尾根を巧みに利用し、四津山神社の建つ本郭と北に連なる三つの郭によって構成され、それぞれの郭は土塁と堀切によって画されています。
本城の築城年代や城主については不明な点が多いのですが、新編武蔵風土記稿では長享元年(一四八七)に没した増田四郎重富の居城と伝えています。また、長享二年(一四八八)及び延徳三年(一四九一)の二度にわたり、城の北東方向の高見ケ原において、山内上杉氏と扇谷上杉氏による激しい合戦が繰り広げられたと伝えられています。
平成五年三月二五日 小川町教育委員会

武蔵 高見城(四津山城跡)を登城動画

2017 桜のスポット 開花情報 鉢形城のエドヒガンザクラ 満開

2017年4月4日現在 鉢形城跡のエドヒガンザクラ 満開です

鉢形城 エドヒガン桜

鉢形城跡は国指定史跡です。その一角にエドヒガンザクラの大木があります。
鉢形城跡のエドヒガンザクラ
2017年4月4日撮影
 最盛期には桜のライトアップもあります
鉢形城跡のエドヒガンザクラ
2017年4月4日撮影

鉢形城跡のエドヒガンザクラ
2017年4月4日撮影

鉢形城跡のエドヒガンザクラ
2017年4月4日撮影

鉢形城跡のエドヒガンザクラ
2017年4月4日撮影

鉢形城公園(鉢形城址) 基本情報

所在地:埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2
TEL:048-586-0315(鉢形城歴史館)
アクセス:東秩父村営バス寄居駅発・和紙の里行き、鉢形城歴史館前下車、徒歩約10分。
寄居駅より徒歩20分
関越自動車道花園インターチェンジより国道140号バイパス経由、秩父・長瀞方面へ6km、約15分
駐車場:アリ(無料)
駐車場利用時間:9:00~17:00 


鉢形城公園(鉢形城址) アクセス用マップ


より大きな地図で 埼玉マップ を表示

武藏の城 龍ヶ谷城跡(千馬山城) (皆野町)

龍ヶ谷城(りゅうがいじょう) 

戦国時代に藤田氏が築いたとされる龍ヶ谷城(りゅうがいじょう)は皆野寄居バイパスの皆野長瀞インターを降りて埼玉県道82号を進み左に少し入ったところに登り口があります。
県道から龍ヶ谷城登り口方面へ入ると、すぐに案内板が有ります。
 龍ヶ谷城登り口はあぜ道のような感じ。農家の私道?
案内板には(りゅうがやじょう)となってますね。
 案の定突き当りは農家の庭先に続く道
 左手に山へ上がる道が有ります

 右手に祠があり、
祠を過ぎると右上に尾根伝いを進みます。
 写真ではわかりづらいですが、そこそこの斜面で落ち葉が凄くて歩きづらいです。
まだ上りは良かったけど、帰りは滑る滑る

 しかもところどころに倒木があります。
ビデオから切り出したのでブレてます

 石積みが見えて来ます。
 土橋でしょうか?両側が崖状になっています。
 尾根が終わるとまた右上に進みかなりの急斜面に
 ここにも石積みが残っています。
1箇所ホントに狭くて凄く急な所あり
 ハッキリ言って周囲の景色は良く見えません
 右が主郭手前の横堀、左上が主郭です

夏だったらもっと葉が生い茂っていたでしょう
 主郭にあった案内板

龍ヶ谷城 主郭


 長瀞方面

龍ヶ谷城跡(千馬山城跡)基本情報

所在地:埼玉県秩父郡皆野町三沢茗荷沢
アクセス:皆野長瀞バイパス皆野長瀞インターチェンジから県道82号~
駐車場:特になし 接続道路は駐禁ではないと思います。
形態:山城 標高321m
築城年代:戦国時代
築城者:藤田重利
現況:山林
遺構:郭、石積み、土塁、堀切、竪堀
史跡指定:埼玉県選定重要遺跡

龍ヶ谷城(千馬山城)跡の登城動画

鉢形城公園のエドヒガンザクラ(寄居町)

鉢形城 エドヒガン桜

2013年3月28日撮影 満開のエドヒガン
国指定史跡である鉢形城跡は鉢形城公園としてかなり整備が進んでいますが、城跡内にあるのが寄居町天然記念物に指定されているエドヒガンで、樹齢は約150年、高さは18m、枝張り、東西23.5m/南北21.8mで、根回りは6.5m(2009年)となっています。
2013年3月28日撮影 満開です。
エドヒガンがある横の道路は駐車禁止です。
200m弱で臨時駐車場がありますから路上駐車は止めましょう。
鉢形城 エドヒガン桜
クリックで大きな画像になります。
鉢形城のエドヒガン桜


鉢形城阯のエドヒガン

鉢形城 エドヒガンGoogle画像検索
2012年11月14日撮影なので咲いていません

鉢形城公園(鉢形城址) 基本情報

所在地:埼玉県大里郡寄居町大字鉢形2496-2
TEL:048-586-0315(鉢形城歴史館)
アクセス:東秩父村営バス寄居駅発・和紙の里行き、鉢形城歴史館前下車、徒歩約10分。
寄居駅より徒歩20分
関越自動車道花園インターチェンジより国道140号バイパス経由、秩父・長瀞方面へ6km、約15分
駐車場:アリ(無料)
駐車場利用時間:9:00~17:00

鉢形城公園(鉢形城址) アクセス用マップ

水城公園(行田市)のアジサイ

忍城の外堀の沼を利用して整備された公園で浮き釣り専用の釣り場として楽しめます。

夏には沢山のホテイアオイが青い花をつけます。
2012年6月15日現在のアジサイ開花状況はこんな感じです。

水城公園の基本情報

所在地:埼玉県行田市水城公園1249
問い合わせ:行田市役所 まちづくり推進課公園係 048-556-1111
開園時間:入園自由
休業日:無休
アクセス: JR高崎線行田駅より市内循環バス(左回り)で約30分、水城公園前停留所下車
クルマ 東北自動車道羽生ICより約14km または関越自動車道嵐山小川ICより約20km
駐車場:アリ無料

2012年 水城公園アジサイの開花状況

雉岡城跡(きじがおかじょうあと) 城山公園

本庄市(旧児玉町)にある雉岡城跡(きじがおかじょうあと)は室町時代に山内上杉顕定が築城したと伝えられ1601年に廃城となりました。

現在も本丸、二の丸跡、空堀の一部が現存する城跡で、約300本の桜が植えられた桜の名所でもある城山公園となっています。


 案内板より
雉岡城跡(きじがおかじょうあと)

所在地 児玉郡児玉町大字八幡山
雉岡城跡は、別名八幡山城跡とも呼ばれ、戦国時代に山内上杉氏の居城として築かれたが、地形が狭いので、山内上杉氏は上州平井城に移り、当城には家臣の夏目豊後守定基をおいて守備させた。永禄年間には北条氏邦によって攻略され鉢形北条の属城となったが、天正18年(1590)に豊臣方小田原攻めの際、前田利家によって攻囲され落城した。その後天正18年8月徳川氏の関東入国後、松平家清が一万石の格式を受けて領主となり居城としたが、慶長6年(1601)三河国吉田城に転封されるや廃城となった。
現在、二の郭は児玉中学校、三の郭は県立児玉高等学校の敷地となっており、本郭の一部は公園として残されている。本郭は他の郭より一段と高く、中央に幅10メートルをこえる空堀があり、南側は断崖をなしている。
昭和58年3月 埼玉県

吉見町 松山城址 比企城館跡群

吉見町 松山城址

平成20年3月28日付けで、菅谷館跡、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町)、松山城跡(吉見町)が、比企城館跡群として国指定史跡に指定されました。

市野川の蛇行に突き出した形で標高約40mの高台に松山城はありました。
埼玉で言うと高台というより立派な山です。
説明板より

史跡松山城跡

この城跡は、市野川が形成した広大な低地に突き出た丘陵の東端に築かれており、戦国期に幾度もの攻防戦が行われた北武蔵地方屈指の平山城である。現存する城跡は当時の姿を良好にとどめており貴重な文化財である。 市野川に突き出た部分から本丸、二の丸、春日丸、三の丸が南西から北東に向かって一直線に並び、その両側に多くの曲輪や平場をもっている。また、兵糧倉跡や物見櫓跡なども残されている。 城の歴史は古く、古代にさかのぼるとさえ言われるが、一般的には室町時代初期の新田義貞陣営説、応永年間初期の上田左衛門尉築城説、応永23(1416) 年ごろの上田上野介築城説などがある。 しかしながら、城郭としての体裁を整えたのは、15世紀半ば太田氏が江戸、川越、岩槻の各城を築いた時期に近いものと思われる。 この城が天下に知られたのは、今から約450年前の天文年間から永禄年間のことであり、城をめぐる上杉氏、武田氏、北条氏の争奪戦は有名である。のち豊臣勢に攻められて、天正18(1590)年に落城した。歴代の城主上田氏の滅亡後は松平家広の居城となったが、後を継いだ弟忠頼は慶長6(1601) 年浜松に移封されたのを最後に廃城となった。 大正14年に県指定史跡にとなっている。

県道沿いに面した城址の登り口から急坂をせっせと登ると、今でもしっかり残っている空掘などが見れます。 帰りは北側の急斜面を降りていくと岩室観音のところに出ます。 写真だとイマイチ急斜面度が伝わりませんが、ここから松山城跡まで登って行くのは容易じゃありません。

松山城跡基本情報

所在地:埼玉県比企郡吉見町大字南吉見字城山
アクセス:
東武東上線東松山駅東口から「東松02系統:免許センター」ゆきバス5分「百穴」バス停より徒歩2分
関越道東松山ICからクルマで15分程度。
駐車場:吉見町町営百穴駐車場(無料)
埼玉県道27号東松山鴻巣線(松山街道)沿いに松山城跡への登城口があり、クルマも1~2台停められますが百穴駐車場を利用したほうが無難です。

国指定史跡 杉山城 (嵐山町)

杉山城 

別名 初雁城は城マニアの人から言わせると戦国山城の中でも模範になるような名城のようです。
もちろんその素晴らしさが認められ、菅谷館跡(嵐山町)、松山城跡(吉見町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに「比企城館跡群」として 国指定史跡になっています。
とは言っても、戦国時代の山城ですから姫路城や熊本城のような立派な天守が現存するわけでもなく、遠目で見た感じは写真のようにただの小山です。

ちなみに右にある白い建物は玉ノ岡中学校でその左下が杉山城跡の入り口になる積善寺

杉山城基本情報

所在地:埼玉県比企郡嵐山町杉山雁城654番地
国指定史跡:平成20年3月28日指定
遺構:曲輪・土塁・空堀・虎口・馬出・井戸
アクセス:東武東上線武蔵嵐山駅下車徒歩約3~40分
関越道嵐山小川インターチェンジより県道296号にて
駐車場 臨時駐車場アリ 
積善寺HP http://www7.ocn.ne.jp/~shouden/sugiyama.htm にもお寺のPが利用出来ると書いてあります。

杉山城跡入り口

玉ノ岡中学校へ登っていく手前に杉山城跡 大手入り口の看板があります。

積善寺(しゃくぜんじ)

国指定の史跡「杉山城址」の門前に位置し開山は1571年と伝えられるのが積善寺です。
所在地:埼玉県比企郡嵐山町杉山600
杉山城へ行く場合の駐車場はこちらのお寺に置かせていただけるようです。
特に此処から先は私舗装なので崩れる恐れもあります。



注意事項:
杉山城跡はすべて私有地です。公開は地権者のご理解によるものですので、見学に際しては必ずマナーを守って下さい。
と看板が出ています。
積善寺裏手からの上がり口

杉山城出郭(でぐるわ)

積善寺の右手、玉ノ岡中学校方面から登って行くとスキーのゲレンデのような斜面に出ます。
ここが大手口の東側下に配置されている出郭(でぐるわ)で上部が大手口。

息障院(伝範頼館跡) そくしょういん(でんのりよりやかたあと)(吉見町)

 息障院一帯は源頼朝の異母弟である源範頼の居館跡と伝えられおり
県指定旧跡となっています。
送信者 すごいぞ!埼玉
吉見町の息障院(伝範頼館跡) 《 そくしょういん(でんのりよりやかたあと) 》説明

南側空堀

息障院




息障院基本情報

別名:吉見御所
所在地:埼玉県比企郡吉見町大字御所146番地1
アクセス:関越自動車道東松山インターチェンジより15~20分程度

駐車場:併設する幼稚園脇にあり

遺構:水堀、空堀
本尊の不動明王は県指定の有形文化財
案内板
当山は真言宗智山派に属し、岩殿山息障院光明寺と称する。
開創は古く天平年中(730年ころ)行基菩薩によるといわれている。また、大同年中 (806年ころ)坂上田村麻呂将軍の開祖によるとも伝えられている。
古くは吉見護摩堂と称し、天慶の乱の折、平将門調伏の護摩を修し、その功によ り息障院の号を下賜されている。
現在の境内地は、源範頼の館跡といわれ、県の指定旧跡となっている。
本尊は不動明王であり、平安時代末~ 鎌倉初期のもので定朝様式を伝える傑作といわれ、県指定の有形文化財である。
当山の全盛期は、戦国時代から江戸時代で、その当時は、末寺120余 か寺を数え、隆盛を極めたものである。
平成10年3月
吉見町・埼玉県

息障院付近の地図


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