県道から高見城への入り口 |
高見城案内板 |
県指定史跡 高見城跡
小川町大字高見字四ツ山一00八外平成四年三月二五日指定
高見城跡は、町の北東部にそびえる独立峯・四津山の頂上に築かれた中世の典型的な山城です。城跡からは、北は荒川流域一帯、南は市野川筋を一望できる要害の地に築かれています。市野川筋には「旧鎌倉街道上道」が走り、戦国時代、鉢形城と松山城の中間にあって、街道を押さえる重要な役割を果たしたと考えられます。
城跡は細長い尾根を巧みに利用し、四津山神社の建つ本郭と北に連なる三つの郭によって構成され、それぞれの郭は土塁と堀切によって画されています。
本城の築城年代や城主については不明な点が多いのですが、新編武蔵風土記稿では長享元年(一四八七)に没した増田四郎重富の居城と伝えています。また、長享二年(一四八八)及び延徳三年(一四九一)の二度にわたり、城の北東方向の高見ケ原において、山内上杉氏と扇谷上杉氏による激しい合戦が繰り広げられたと伝えられています。
平成五年三月二五日 小川町教育委員会
0 件のコメント:
コメントを投稿