雉岡城跡(きじがおかじょうあと) 城山公園

本庄市(旧児玉町)にある雉岡城跡(きじがおかじょうあと)は室町時代に山内上杉顕定が築城したと伝えられ1601年に廃城となりました。

現在も本丸、二の丸跡、空堀の一部が現存する城跡で、約300本の桜が植えられた桜の名所でもある城山公園となっています。


 案内板より
雉岡城跡(きじがおかじょうあと)

所在地 児玉郡児玉町大字八幡山
雉岡城跡は、別名八幡山城跡とも呼ばれ、戦国時代に山内上杉氏の居城として築かれたが、地形が狭いので、山内上杉氏は上州平井城に移り、当城には家臣の夏目豊後守定基をおいて守備させた。永禄年間には北条氏邦によって攻略され鉢形北条の属城となったが、天正18年(1590)に豊臣方小田原攻めの際、前田利家によって攻囲され落城した。その後天正18年8月徳川氏の関東入国後、松平家清が一万石の格式を受けて領主となり居城としたが、慶長6年(1601)三河国吉田城に転封されるや廃城となった。
現在、二の郭は児玉中学校、三の郭は県立児玉高等学校の敷地となっており、本郭の一部は公園として残されている。本郭は他の郭より一段と高く、中央に幅10メートルをこえる空堀があり、南側は断崖をなしている。
昭和58年3月 埼玉県


県指定史跡 雉岡城跡地図



その他、児玉高校、中学校なども城内に造られています。

雉岡城跡の基本情報

所在地:埼玉県本庄市児玉町八幡山446 
アクセス:JR八高線児玉駅下車徒歩約5分
塙保己一記念館アリ
塙保己一記念館
問い合わせ先:0495-25-1186


夜泣き石

夜泣き石案内板

案内板
夜泣き石(親子石)
この石には、次のような伝説があります。
昔、殿様の夕餉に針が入っており、怒った奥方は側女お小夜の仕業だと思い、取り調べもしないで、お仕置井戸に生きたまま沈めさせてしまいました。
そのとき、お小夜のお腹には、生まれるばかりの赤ちゃんがいたそうです。お小夜の死後、お城ではお乳がにじみ、飲み水も池の水も白く濁り、夜になるとお小夜の泣き声が、どこからともなく聞こえてきたそうです。
また、井戸からお小夜の棺桶を引き上げてみると、大きな石になったお小夜は、子供石を抱いていたそうです。子供を思う親の心に、奥方はお小夜に対する仕打ちを後悔し、お堀端にこの二つの石を祀り、女達に慰めの言葉をたやさぬようにと頼み、髪を切って喪に服したと言い伝えられています。(児玉の民話より)
児玉町教育委員会


雉岡城跡付近のアクセスマップ


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