保呂羽堂古墳
羽生駅の北側すぐの踏み切りの通り沿いにあります。高さ3m、直径21mの円墳で、頂上には保呂羽堂があります
保呂羽山蔵王大権現由来略記
この堂宇は、社寺明細帳および上羽生村記録によると、貞應元年(一二二二年)癸末年四月創建のもので祭神については何れ も明らかではないが北条勢との戦いに敗れた、落人の大将、和田義盛ならびにその一統に関る武将等の霊を供養するために、建立したもので(母衣)を(破)る 権現として祀ったものといわれている。
その後、星霜を経て、寛政八年(一七九六年)七月氏子有志により御神体を石碑に改め、堂宇の改建が行われ、保呂羽山として、特に幼児の成長を守護する神と され、百日咳・風邪などの平癒祈願後全快すると、だんご(背丈だんご)を供える風習が続けられている。
例祭日 四月十四日
昭和五十一年十二月吉日建立
その後、星霜を経て、寛政八年(一七九六年)七月氏子有志により御神体を石碑に改め、堂宇の改建が行われ、保呂羽山として、特に幼児の成長を守護する神と され、百日咳・風邪などの平癒祈願後全快すると、だんご(背丈だんご)を供える風習が続けられている。
例祭日 四月十四日
昭和五十一年十二月吉日建立
保呂羽堂古墳付近地図
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