若宮八幡古墳(わかみやはちまんこふん)
直径30メートル、高さ4メートル若宮八幡古墳で古墳南側には、全長8.65メートルの横穴式石室が開口しています。若宮八幡古墳案内板 |
八幡神社参道 |
八幡神社参道 |
仕方なく八幡神社内石橋第二公会堂すぐ脇にクルマを停めました。
下からの参道は下の写真のように道幅も狭くなっております。
若宮八幡古墳 |
若宮八幡古墳 |
八幡神社由緒略記 |
御祭神 誉田別尊(応神天皇)
倉稲魂命 武御名方命
菅原道真 別雷命
素盞鳴命 軻遇突智命
御由緒
当所石橋の八幡神社は誉田別尊(応神天皇)を主祭神と齋きまつり明治40年3月23日宇附川稲荷神社、城山五社大神,上宿愛宕神社を合祀せる古社なり。
昔大神は深く内外の政治に大御心を用いられ文学を奨励し殖産興業を盛んにし数多の池溝を開き潅漑の便を計り又大船を作り交通の道をも開かれ当時国内は勿論韓国との交通甚だ頻繁となし海外の文化を導入し謙譲忍耐、和表、協同の徳をもって国家を安泰し国民を安んじ給えり、されば大神は厄除開運の御神徳と共に文教及び産業の守護神として万人齋し、尊崇する中に当社は私達祖先により慶長元年(1596)村内守護のため此の地の古墳上に社殿をを造営し相模国鎌倉の鶴岡八幡宮より神霊を文祀し代々祭祀怠らず厚き神護の下営々として村づくりにいそしみ来たれり。
爾来星霜移り社殿の老朽甚だしく再建の議澎湃として起り昭和48年12月16日竣工淨闇の裡に壮麗清浄の新殿に神霊を奉安し盛大に奉祝今日に及ぶ而して今や神威益々赫々の光を発し氏子崇敬者を鎮守し給え御神徳の洪大なるを偲ばしむ。
文化財 史跡 若宮八幡古墳一基
埼分指第179号 昭和39年3月 指定
主なる祭事
祭旦祭 1月1日
祈年祭 4月15日
例大祭 10月15日
若宮八幡古墳説明板 |
昭和三十九年三月二十七日 県指定
<立地> 若宮八幡古墳の立地する地域は、松山台地の西方、都幾川を望む 台地縁辺にある。周辺の台地には、多くの古墳が築造され、それらは幾つかの古墳群に分かれて分布し、下唐子古墳群として把握されています。
<墳 丘> 直径三十m、高さ四mの円墳で、墳丘には埴輪が認められています。
<内部主体> 南面に開口する砂岩質泥岩の切石を組み合わせて構築 された副室形式をとる大規模な横穴式石室で、全長八・六mを計ります。この横穴式石室の開口は古く、江戸時代中頃に開口されていたと思われます。出土遺物 については全く知られていません。
<築造時期> 石室の開口が古く出土遺物が不明なため、時代推定に大きな制約がありますが、横穴式石室の 形状や、埴輪等から推定すると、六世紀終末から七世紀初頭頃の築造と推定されます。
昭和五十九年三月
文化財を大切にしましょ う
東松山市教育委員会
若宮八幡古墳の売りは開口している石室ですが残念ながら取材時は閉鎖中
若宮八幡古墳付近地図
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